補欠

11月8日に昭和記念公園で駅伝大会が開かれます。

会社の、運動好きの面々が出場するというので「あら、がんばってね」と他人事に思っていたら、彼らから補欠になっていただけませんか、との要請。

私が?!

なんでも、1チーム4人で走るそうなんですが、補欠を1人立てないとエントリーできないらしいのです。

補欠ならいいか。かなり軽い気持ちでひきうけた私ですが、時間がたつにつれ大会のことを真面目に考えるようになりました。

当日は1人が5キロ、2人が3キロ、1人が1キロの合計12キロを1チームで走ります。

万が一、ということがあります。1キロならなんとかなりそうですがそれ以上は鼻血がでてしまいそうです。

私はささやかながらトレーニングをはじめました。

ともかく今の私の体は緩みきっており、ジョギングするという初歩の初歩も苦行です。

バイクのタコメーターで距離を測り、家の近所に3キロチョイのコースを設定。まずはウォーキングから慣らしていくことにしました。

やってみるとこれがなかなか楽しく、いろんなことを思考し、眺めることができてすごく時間を有効に使えている気がします。

歩くのはほとんど夜なので、高架線の上をキラキラと走り抜けて行く電車にどこか詩情みたいなものを感じながら、私は闇の一部となって舗道を歩いています。

この前などは会社帰りに何駅かぶん歩いてみようと思い小石川から九段下まで歩きました。ドームや観覧車など日常とはちょっと乖離した風景が見られる後楽園をよこぎったときはほんとうに楽しかったです。

ちなみに歩きながら音楽を聴くなら、同じような旋律とリズムがループするテクノの権化KRAFTWERKがいいです。もう笑ってしまうくらい、「歩く」という動作を促します。


さて、先日メンバー全員代々木公園に集まって¨合同練習¨をしました。緑に包まれた都会のオアシスといった感じのとてもいいところでしたが、やはり私には1キロを走りぬくのもしんどかった!

¨選手¨のみなさんは「きついなー」というわりには笑顔が絶えず、さすがだなぁと感心せずにはいられませんでした。


会場となる昭和記念公園の下見も終えて、あとは本番を待つばかり。

どうなりますことやら。

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キクロンおばさん

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キクロンです。

家でも職場でも幾度となく使ってきた食器洗い用のスポンジですが、よくよくパッケージのデザインを見てみるとかなり味わいがあり、しかもちょっと「怖かった」ので、思わず写真に撮ってしまいました。

まず惹かれるのはそのイラストのタッチ。どう見ても現代のものではありません。パソコンのパの字もない時代に描かれてたものと思われ、全体的な色調からは¨古めかしさ¨が伝わってきます。

技術的には遠近法などがうまく使えておらず、システムキッチンの蛇口や窓際においてあるポットとヤカンが斜めになってしまっていて、今にも落っこちてしまいそうです。

そしてなによりも、衝撃的なのが手前に大きく描かれた¨奥さん¨です

現代のセンスなら、もっと若くて新婚ホヤホヤ的な娘さんを起用するかと思うのですが、私の見る限りこの¨奥さん¨は40歳台。完全に熟女とよばれる領域です。

ノースリーブからあらわになった、たっぷりとした白い身の腕からは、そこらへんの小娘には真似のできない大人の色香が漂っており、かなりのボリュームがあるだろうと容易に想像が出来るバストのあたりでちょうど絵を「切る」ことによって、マニアの人はたまらないだろうな、と思わせる構図になっています。

そう、このパッケージデザインはどこか生めかし過ぎるのです。

奥さんはキクロンを持ってはいますが、今から食器を洗おうという感じではありません。うっすらと微笑んではいますが目は笑っておらず、その目は¨私¨ではなく第3者の¨ご主人¨に向けられ、寝室にいざないながら「今日はこのキクロンを使って・・・」などと淫らなことをもくろんでいそうです。

くわえて、奥さんが持っているキクロンの中には同じ「キクロンを持っている奥さん」が描かれ、合わせ鏡のように無限に続いています。それは終わりのない淫靡と悦楽の世界をあらわしているようでもあり、もしその目線の先が不倫相手だとしたら、逃れられない泥沼の暗喩ともとれ、ほんとうに怖いです。


私は¨奥さん¨のことがもっと知りたくなって、キクロンのホームページを訪れてみました。

すると、次から次へと私の想像を超える事実が判明して腰が抜けました。深い。じつに深い。


まず、この奥さんに明確な名前はなく単に「キクロンおばさん」と呼ばれています。私は気を使って¨奥さん¨て言っていたのに、なんだ、おばさんて言っちゃってよかったのね。

私は絵のタッチからその歴史は70年代だとふんでいたのですが、実際にはもっと古く昭和37、8年ぐらいにさかのぼります。(どんだけロングセラーなんだ)

商品があまり売れずに悩む当時の社長のもとに、ある画家があらわれ、「3倍の売れ行きを示すイラストを描く自信がある」と豪語したそうです。

それが「キクロンおばさん」で、採用してみるとほんとうに売り上げが飛躍的に伸びたのだそうです。

これは私の想像ですが、今だに同じイラストを使い続けているのは当時の¨恩¨を忘れないためではなかろうか。このおばんさんに会社を大きくしてもらったんだと。

だとしたらちょっといい話でジーンときてしまいます。

「キクロンおばさん」は、ちゃんとした名前がないわりにはけっこう細かく¨キャラ付け¨がなされています。

そもそもその生い立ちからして複雑。

ドイツ人の父と台湾人の母をもち(つまりハーフ)、中学の頃に父の仕事の関係ではじめて日本の土をふみます。

私は「キクロンおばさん」の¨茶髪¨を故・青江三奈さんのような「昭和歌謡茶髪」だと思っていたのですがはずれました。地毛だったとは!!

年齢は私と同世代の37歳。夫は外交官で渋谷に住んでいます。

笑えたのは好きなタレント→kinki kids(とくに堂本剛のほう)だって。40年以上の歴史があるわりにはずいぶん設定が最近です。

他にも通販好きだったり、懸賞に凝っていたりと、意外と俗っぽいところがあると知ってなんだか安心しました。


―なんとなく道で拾った石を調べてみたら素敵な物語が隠されていた。―

―いつもは通り過ぎていただけの近所の壁の穴を覗いてみると、想像を絶する世界が広がっていた―


「キクロンおばさん」はそんな経験をさせてくれました。


ここまでつらつらと「キクロンおばさん」のことを書いてきてなんなんですが、私は昔から住友スリーエムのスミちゃんのファンです。

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天の気

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「お天気」と名づけた昔の人は素晴らしい。

ちかごろの急な豪雨をもたらす不安定な気候は、科学的なメカニズム云々よりも、¨天¨という人格が気分や機嫌を損ねている、という表現の方が実感として受け入れられます。

まさに「気象」というより「気性」です。


まったくの偶然しろ、これからでかけようという時や、駅やお店から出ようとした途端はげしい雨が降ってくると「意地悪だなぁ」とか「なにか悪いことしたかよ」などと、かなり擬人化して私は空を見上げてしまいます。

このまえなど、仕事が終わって同僚といっしょに会社を出て道を歩き出し、さぁ会話をしょうかと思った瞬間「ざぱーん」と嘘みたいな量の雨が降ってきました。そしてその音で互いの声が聞こえなくなってしまい、いったいなんのジェラシーなのだと私は可笑しくなりました。


「女心と秋の空」とはよく言ったもので、気まぐれな天候の変化に出くわすと、私もやはり女性の「気性」を思い出さずにはいられません。


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ヘッドフォン

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audio-technicaちんのノイズキャンセリングヘッドフォンが2度目の骨折です。

以前、普通に装着しようとしたらポキッと折れてしまい、アロンアルファ様で接着したのですが、2日ぐらいでまた取れてしまいました。

再度アロンアルファ先生に登場願い、なにぶん接着面が狭いものですからドボドボと今度は多めにつけてギューッと祈るように手で押さえつけました。

それから4日たちましたがなんとか持ちこたえています。

音自体はなんの支障もきたしてないし、なによりもノイズキャンセリングヘッドフォンは高価なので買い換えるとなると鼻血がでてしまいそうです。

もう少しがんばってくれ!!

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ボヨヨーンパンチ(正式名称不明)

盆踊りに行った際、露店のくじ引きで甥っ子が当てたのがこれ。

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引き金を引くとパンチがボヨヨーンと繰り出される寸法です。

どこか¨ヤッターマン的¨であり、子供の頃ノートに似たようなものを落書きした記憶があるので、私はけっこうこういうの好きです。

モノ自体がくだらなくて面白いし、そのくだらないモノを朝から晩まで作ってメシを食っている人がこの世のどこかに間違いなくいるということを想像すると、なおおかしくなります。

「だめだめ。こんなんじゃボヨヨーンてパンチがうまく伸びないよ!やり直し!」

とか上司や先輩に言われて、今日あたり残業している人がいるかもしれないのです。

妻に「ごめん、ボヨヨーンで遅くなる」などと電話を入れて・・・。


さて、甥っ子の反応はというと、あまり良くありませんでした。

ボヨヨーンパンチがイヤ、というよりは別の賞品のおもちゃの短剣に目がいっていたらしく、それが当たらなかったのが悔しい様子でした。

もう一回やりたいという甥っ子を「くじだからね、短剣が当たるとは限らないよ。」と妹ともどもたしなめつつ、再度トライしました。

すると今度は、¨トローチみたいな穴のあいた円盤を口から発射するサメの形をしたピストル¨という、もっとにわけのわからないものが当たってしまいました。

ほら、言わんこっちゃないだろう。私はかるくボヨヨーンパンチで甥っ子を小突きましたが、意外にも彼はたいそう気に入ったようで、家に帰るとそれをバンバン撃ちまくっていました。


なんだか基準がよくわかりません。

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肉と彼を信じて。

タイムカードを押し、さて帰えろうかとしているところへせっぱつまった様子の営業が私の職場にやって来ました。

なんでも、明日納めの品物が¨今日¨になってしまったらしい。

現場には私しかおらず、一人ではどうしようもなかったので、すでに帰っていた同僚を電話で呼び戻すことにしました。
かなり早めに上がっていた彼は亀有にいました。小石川までUターンするのはかなりおっくうなこと。肉しか信じない彼に「あとあとなにか肉的なものをご馳走するから」ともちかけて¨商談成立¨となりました。

営業が途中まで迎えに行き、30分ほどで彼が到着。作業自体はサクサクとスムーズに進み、10時前には完了しました。

同僚には本当にしばらく頭が上がりません。亀有→小石川という距離もさることながら、いったんOFFになった気持ちのスイッチをONに戻すのは大変だったでしょうから。感謝、感謝。

帰り際、彼は爽快な顔でまた帰って呑み直すと言っていました。

え?! 呑み直す?!

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パルム君

会社帰りの都営三田線神保町駅のホームで、奇妙な風体の人物を見かけました。

その¨男の人¨の顔ははどう見ても40過ぎの中年。

まるまると太り、オイリーに紅潮した笑顔のてっぺんは見事に禿げ上がっていますが、耳元に残る髪の毛は生命力がみなぎっており、赤毛の天然パーマが勢いよくちじれていました。

ところが、そんなグレイトなオッサンのいでたちは白い半そでシャツに半ズボンと靴下をちょこんと履いていて、まるで小学生、もしくは少年合唱団のようなのです。

考えられないほどのミスマッチ!

私は即座に(そして勝手に)「パルム君」とあだ名をつけ、妄想をふくらませました。


☆パルム君はマンガに出てくるような大きな渦巻きのぺろぺろキャンディーが大好きです。

☆パパからもらったクラリネットをこわしてしまい、もはや高いほうの¨ド¨しか出せませんが、パルム君はさして気にしていません。

☆パルム君が「正直言ってさぁ・・・」と話を切り出すとき、かなりの確率でウソをつこうとしています。

☆パルム君はジャイアンツの二岡のファンです。

☆そして¨グミ¨が食べれません。

などなど・・。


街ですれちがっただけ、という刹那でしたが「パルム君」は鮮明に私の脳裏に佇み、やはり少し笑っています。

ちょっと不安なのは、「パルム君」がもし小学生みたいなオッサンではなく、オッサンみたいな小学生だったらどうしよう、ということです。

嫌でしょう、あれでこれから反抗期だなんて。

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こまかなこだわりは大事。

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友人たちに会いに新宿へ行く際、せっかくだからと副都心線に乗ってみました。

「東新宿駅」のホームで素敵なベンチ発見。

プラスチックでしょうか、アクリルでしょうか、透明なイスに花があしらってあります。

デザインが秀逸。ひっこぬいて自分の家にもって帰ってしまいたくなりました。

酔っぱらいのオヤジには絶対に座らしたくありませんな!!

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今だにDSに触れず

雨の多いこの時期。乾ききらない駅の階段を下りながら「すべらないように気をつけなきゃな!」と思った瞬間ズルッとすべりました。

ドーンと尻と両手をつき、足は前方にピン伸びてつり輪の選手のような格好になってしまう。

駄目ではないか。まるで思考と行動がリンクしていません。
私は自分で自分のボケっぷりに驚愕しました。

尻や手はもちろん、肩や首、頭にまで衝撃があってかなりの痛みが走りました。
特に首は、以前からそこにトラブルを抱えているうえに、最近何度か携帯電話でブログを書いているうち落ちついていた¨DS痛¨が再発してきていたのでWパンチです。

首の辺りがグワングワンと常に痛んでると思考能力まで落ちてきそうです。

またどこかですっ転んだりするなこりゃ!

Hisamituのチックタイプの塗り薬が手放せません。

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三色

子供の頃、私の食卓には¨三色ふりかけ¨がおいてありました。

正式な名称はわかりませんが、小さな茶筒のような形の容器が扇型に三部屋に120°ずつ分かれており、それぞれにノリタマ、たらこ(おかかだったかもしれません)、そしてごま塩が入っていました。

容器は透明なプラスチック製で中身が見えるのですが、いつも大差をつけられてごま塩が残っていました。

べつに嫌いだったわけではありませんが、ごまと塩だけというシンプルな構成がつまらなく、じじ臭さやばば臭ささなども感じられて、どうしてもプライオリティとしてノリタマやたらこの¨後¨に残ってしまいます。

兄や妹もきっと同じ優先順位だったはずなのですが、親たちはどんなふうに残ったごま塩を処理していたのでしょう。

無理やり何もめでたくないのに赤飯でも炊いたのでしょうか。

どうしようもなく大人になってしまった今は、むしろごま塩の方が好きだったりするので「今だったらあの頃のような淋しい思いはさせないぜ!」と考えてしまいます。

最近はまるで三色ふりかけを見かけることはありません。

詰め替え用だのエコパックだのが当たり前の時代にあの無駄ばっかりの商品はそぐわないかもしれませんが、なんだか復活動してほしい気分です。


ボールペンにも黒、赤、青の三色が内蔵されているものがあります。

学生時代によく使っていましたし、社会人になってからも買ったことがあります。

でもやはり、真っ先に黒が無くなるので¨二色ボールペン¨が残ります。

結局はボールペンを三本買った方が経済的で無駄がないと気づきました。

道具として¨失敗¨だと私は思うのですが、今でも三色ボールペンのほうは当たり前のように売られていて無くなる気配がありません。

世の中の人たちはどうやって使いこなしているのでしょうか。

最後の最後まで、三色使い切る人がいるのでしょうか。

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大魔神

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なぜか江戸川競艇場に大魔神様が現れたと聞いて、見に行ってきました。

都営新宿線、船堀駅から無料送迎バスで約5分。競艇場に降り立つと、東大寺の仁王象のように、入場口の右側に変身前の埴輪像が立ち、左側には¨大魔神様¨がものすごい形相で通行人をかたっぱしから睨みつけていました。

映画と同じ4.5メートルの体躯をした大魔神様は威風堂々とした¨戦士¨の佇まいでかっこよく、なによりもおっかなかった!!

よく言われることですが、大魔神様は¨大きすぎない¨ことが映画の中でリアリティーを生み出していると思います。

あんなのがのっしのっしと近所をあるいていたら・・。

あんなのに2階にある自分の部屋をのぞかれたたら・・。

あんなのに捕まえられちゃったら・・・。

そんなふうにわざわざ克明に想像しては震え上がっていた少年時代を思い出しました。


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ピンポンダッシュ・イン・マイドリーム

昨晩見た夢の中で、カオリちゃんと再会しました。

夢の中の私は、社員旅行でイタリアを訪れていました。そしてなぜだか中学生の頃ひそかに想いを寄せていたカオリちゃんも同僚としていっしょにその旅行に参加していたのです。

隅から隅までありえない設定ですが、夢の中の私はさほど違和感を覚えず「あ、カオリちゃんも来てるんだ」くらいにしか受け止めませんでした(ここらへんが夢の不思議で素敵なところです)。

実際には卒業以来一度も会っていないので、カオリちゃんはキラキラとした15歳の少女のままでした。

しかし20年以上の空白ももろともせずに、休み時間に教室の隅で他愛もないことで笑いあったあの頃のように、私たちはなかなかイイ感じで言葉を交わしながらイタリア旅行を楽しみます。

明日は自由行動だ、という日の夜になって、なんの拍子かカオリちゃんは私にこう言いました。

「明日2人でフィレンツェに行かない?」

私はフィレンツェになにがあるのかさっぱりわかりませんし、興味もありませんが(そもそもフィレンツェってイタリアでしたっけ)他でもないカオリちゃんと2人きりならまるで話は別です。私は鼻の先っちょが熱くなるような興奮をさとられないように、努めておだやかに答えました。

「いいよ。いいとも。」

ホテルの部屋に戻ってベッドの中に入ると、遠足の前の日の小学生のようにワクワクしてどうしようもありませんでした。明日はずっとカオリちゃんとずっと2人だ。いいぞ。こりゃぁいいぞ。

ところがウトウトと眠りにつくと同時に、私は現実に目覚めてしまったのです。まるでこちらの世界の方が夢であるかのように!

ああ、なんだよ。嘆きながら布団から起き上がると、窓の外にはどんよりとした¨月曜日の朝¨が広がっていました。

ほんとうに残念ですが、一方でその夢のおかげで私は今日一日なんだか幸福でした。

何十年ぶりだろうと夢の中だろうと、カオリちゃんは眩しかった。しかしなんでイタリアなのか。


夢といえば少し前にも変な夢を見ました。

その夢の中で私は15年以上も前に別れた女の家に行き、ピンポンダッシュをして走って逃げ帰ってきたのです。

かー。私は目覚めたとたん、自分が赤面しているのがわかりました。恥ずかしい!!

うらみつらみがあるのなら、女に会って殴りなさいよ(いや、暴力はよくないとは思いますが、夢だし、のこのこ家まで行ったのですからどうせならってことで)。

ピンポンダッシュとはなんですか。小学生ですか私は。

そもそも¨夢¨は「潜在願望」とか「深層心理の表れ」だとか言われています。それらが正しいことだとしたら、無意識にピンポンダッシュをしている私の心の奥底というのは、どんな幼稚で情けない、どろっとしたものがうごめいているのでしょう。

フロイトとか詳しい人、教えてください。


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チチヤスのヨーグルト

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チチヤスの冬期限定「冬ヨーグルト」です。

ニット帽らしきものをかぶったマスコット¨チー坊¨がなんとも可愛く、なにかの発作のようにたくさん買ってしまいました。

失礼ながら私はチチヤスをまったく知らなかったのですが、ホームページを訪れてみると、日本で初めてヨーグルトを販売した、かなり歴史のある会社のようです。

そして¨チー坊¨もこの商品限定のキャラクターなのではなく、チチヤス自体のマスコットとしてのさまざまな商品にデザインされていることを知りました。

なんといっても秀逸なのは、容器の後側にちゃんと「チー坊の後頭部」がプリントされていることです(すこしだけ出てている髪の毛の感じが素晴らしい!)。

後頭部をふくめて登録商標なのでしょうか、ほかのヨーグルトも¨こだわって¨おり、なんだか笑ってしまうと同時に「チチヤス、あそびごころあっていいなぁ」と、その企画力に感心してしまいます。

(後頭部が)べつになくても、なんの物たりなさがあるわけではないけれども、ぜったいに¨ある¨ほうがいい。じっさい、私のようにガッチリ心をつかまれて買ってしまっている人がいるのですから。

いったい誰なのでしょう、「後頭部を描いてみては」と思いついたのは。(←天才!)

ホームページにはチー坊のコーナーがあり、いくつかの彼のデザインされた壁紙をダウンロードできるということでさっそくひとつを自分のパソコンに設定しました。もちろん¨後頭部こみ¨です。もう虜です。


じつは「冬ヨーグルト」を買ったのは先月。うかうかしていたら、すっかり日差しもやわらかになって春の訪れを感じるこのごろ。

チチヤスは3月4日に「春ヨーグルト」を発売したようなので、これから探しに行ってきます。

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おゆうぎかい

2月23に甥っ子の『おゆうぎかい』があり、彼の専属カメラマンである私はビデオカメラとデジカメを両方そろえて出かけていきました。

入園式のときにも使った保育園の大きな部屋には暗幕が張られ、それらしい雰囲気が作られています。

つぎつぎとご家族たちが入場し、イスはないのでひざ掛けやブランケットを敷いて前の方からうまっていきゆきます。200人以上の人が詰めかけていたのではないでしょうか。私は妹にデジカメをあずけると、後方に三脚を立て、ビデオのスタンバイをしました。

場内が暗くなり、ステージの幕が開くと、最初の演目の年長組による日本舞踊が始まりました。どこか厳かな波動が感じられて、なかなか良い。そしてそれを見ながら私は、カメラの位置や設定の確認をして、甥っ子の出番を待ちます。

プログラムを見るとけっこう盛りだくさん。20くらいの演目があり、「踊り」と「劇」が交互にくりかえされる構成になっていました。

プログラム④番。いよいよ甥っ子が出るスミレ組みの劇「さるかにばなし」が始まります。

他の組の劇などを見ていても気づいたのですが、やはり、より多くの子供たちに役をわりあてようと、キャストをだぶらせてありました。「アリとキリギリス」をやった組では、アリはともかくキリギリスまで¨たくさん¨いたりしました。

妹の話によると、甥っ子の役は「子ガニ」とのこと。「さるかにばなし」は「さるかに合戦」をアレンジしたものだそうですが、はて?そんな役あったかしら。

劇を見ていたらサルにいじめられ、青くてかたい柿をぶつけられたカニたちの子供の役のようで、「おとうさん、おかあさん、だいじょうぶー?」なんてけなげなセリフもありました。なるほど。

甥っ子は赤いTシャツに赤いズボンをはいて、頭にはカニのお面をのっけてなんとも可愛らしかった。しかし、なんだか¨お芝居をしている¨という意識はまだあまりないようで、同じ子ガニ役の女の子と手をつないで、はにかんだような、なにかをごまかしているような笑顔を、終始ふりまいているだけでした。

たくさんの「栗さん」「こんぶさん」「うすさん」のおかげでサルをやっつけることができました。

これも他の劇とあわせて思ったのですが、殺伐とした場面や勧善懲悪は避けているようです。「桃太郎」も鬼とチャンバラをするわけではなく、「綱引き勝負!」していましたし、鬼もキリギリスもそしてサルたちも最後はみんな¨仲良し¨になっていました。

悪者を悪者で終わらせない配慮だと思われます。さるかに¨合戦¨が¨ばなし¨になっていたのもうなずけました。


もうひとつの甥っ子の出番は「一等賞体操」の踊りでした。頭にバンダナを巻いて、それだけでもストリートっぽくてかっこよかった。

もうノリノリで踊っている子もいましたが、甥っ子は恥ずかしがりやさんなのか動きが小さい。でも【手をグーにして脇をあけたりしめたりする】振り付けはいたく気に入っているらしく、そこだけはメリハリををつけて楽しそうにやっていたのが笑えました。

最初は後のほうで踊っていたのですが、フォーメーションが変わり、後半は甥っ子が前に出てきてよりスポットライトが当たります。ビデオを操る私も力がはいります。「がんばれ!!」

ラストは中央にメンバーが集まり、ピースのようなポーズでばっちり「キメ」ました。

そのときの甥っ子の表情は得意げで満足感が放たれて「いろいろあったけど、最後はつじつまをあわせたよ」とでも言いたげでした。

甥っ子よ、よくがんばった。


ビデオには我ながら「すばらしい!」と思える画が撮れていてもう何回も家で再生しています。妹に託したデジカメもなかなかいい場面が撮れていました。


どんなに遠い未来をながめても、私に子供ができる予定はありませんが、甥っ子の成長がまるで自分の子のことであるかのように、私の生きる糧となっています。

それで充分。ほんとうに私は幸福です。

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アダルト・チルドレン

古舘伊知郎が報道ステーションで〈アダルト・チルドレン〉という言葉を「子供っぽい大人」の意味で使用したことを謝罪していました。

あれだけ語彙のある人が誤った解釈をしていたなんて。私はかなりがっかりしています。


私が〈アダルト・チルドレン〉を知ったのは、90年代半ばのことです。

新聞にアダル・トチルドレンに関する本の広告が載っており、¨その人たち¨の特徴が羅列してありました。

「周囲が期待しているように振舞おうとする」

「NOが言えない」

「他人に自分の進化を知られることを恐れ、恥じる」

「フリをする」

「何もしない完ぺき主義者である」・・・

これはそのまま私のことではないか。

私はその本と、他にもう一冊関連する本をすぐに買ってきました。


〈アダルト・チルドレン〉はアメリカで生まれた言葉で、アルコール依存症などの親を持つ、機能不全(子供にとっての「安全な場所」「安らぎの基地」という機能をはたしていない)に陥った家庭で育った子供の頃の心の傷や¨役割としての性格¨が、大人になっても対人関係などで障害となって、どこか「生きづらさ」を感じている人たちのことを言います。

日本では仕事熱心で家庭をかえりみない父親をもっていたり良妻賢母すぎる母親がいたり、ともかく夫婦喧嘩が耐えない家庭などの子供たちが、それに順応するために自己をおさえて「フリをしたり」「NOが言えない」性格が形成され、逆に家庭の外、社会で触れ合う無数のコミュニティの中ではそれがネックとなってしまうようです。

¨アルコール依存症の父親がいやでいやでしかたがなかったのに、つきあったり結婚する男がアルコール依存症ばっかの女性¨がたくさんいることを本を読んで驚きました。ストレスを感じながらも、¨そういう人¨にしか対応でいなくなってしまっているのです。


私は10代の頃から「人とどう接していくか」が、大げさに言えば人生のテーマでした。友だちはたくさんいましたが、他人といるとなんだか「居心地の悪さ」や「窒息感」をおぼえ、どうしたもんだろう、と悩んでいました。

しかし〈アダルト・チルドレン〉という¨性質¨があり、それをもつ人たちが世の中にはたくさんいるということを知り、くわえて「私はアダルト・チルドレンである」という自覚をもつことによって、私はかなり楽になりました。

性格は変わりません。私は今でも「何もしない完ぺき主義者」ですが、それでもいいやとそういう自分を整理しておく棚みたいものができた気がします。


さて、アダルト・チルドレンに関する本を読んでから、(アダルト・チルドレンであるか否かはべつとして)私は他人対しても¨役割としての性格¨を考えずにはいられなくなりました。

たとえばワガママできまぐれなAさんがいたとします。

私にとってはかなりつきあいづらかったりするのですが、そのひとが〈ワガママできまぐれ〉であることによって安定し、うまく機能するコミュニティがどこかに存在するのではないか。そのひとも、なんらかの環境に対応し、自分も安定させるために〈ワガママできまぐれ〉にならざるを得なかったのではないか。そんなふうに思ってしまうのです。


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こんどはギョーザですか

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環境省は国や独立法人などに環境配慮製品を義務づけた「グリーン購入法」の見直しを始めました。

日本製紙連盟も「古紙配合率問題検討委員会」を発足、再発防止に動き始め、ややお手盛りな感じもしますが、世間の批判をうけて環境貢献運動に総額10億円の支出をする、との発表がありました。

先週、何度か私の職場に紙を卸している会社の専務が訪れ、いろいろと話し込みました。専務は方々に説明をしに行ったり、逆に説明を聞いたりと忙しそうでしたが、我々のような「現場」にとってもっとも早く訪れる「変化」は、再生紙の表示だと言っていました。70という数字が20になったり「再生紙」の文字自体、削除されてしまう用紙がでてくるかもしれないと。

偽装だなんだといっても、その「再生紙ら」は大河のように巨大な質量をもって社会の真ん中をを流れていました。私の扱っている印刷機の部品の中には¨今の再生紙(と呼ばれているもの)¨にあわせて改良されてきたものがありますし、取り扱う溶剤や薬品もそうです。それから他の分野(製本など)も同様かと。

もしむやみに古紙の配合率をあげ、その¨再生紙¨をラインにのせるとなると、一からの調整に膨大な経費と時間がかかり、業界の混乱、停滞、低迷を招くと思います。

なので今の再生紙のまま表示の方を改める、という業界の方向性に、私は少しホッとしました。

ぜひとも今回の問題をきっかけとして、あいまいだった「再生紙とはなんぞや」という枠組みが具体的な形で世の中に提示されていけばいいなぁと願います。(古紙配合率○○%以下は再生紙と言わない、とか)

それから再生紙と「環境配慮」についても、現実的につきつめて考えるいい機会ではないでしょうか。ついつい「リサイクル」だの「再利用」だのと聞くと自動的に「自然にやさしい」ととらえてしまいがちですが、実際は「えばるほどやさしくない」かもしれません。

再生紙は大量の薬品が使われ、生成のさいに出る二酸化炭素量もバカにできないといいます。

一方で、古紙が5%しか含まれていないとイメージとして「環境に配慮していない」ととらえられるかもしれませんが、専門家が誠実に試行錯誤をかさね、やれるだけのことをやった結果が5%なら、それは「環境に配慮した」と言えるのではないかと私は思い、「(環境配慮という)大儀」や数字に踊らされことなく、自分の頭を廻せ!と肝に銘じるのです。

用紙会社の専務は「これ1枚持ってくよ、調べたいんだ」と、ある¨再生紙¨をもって帰りました。

たしかに、その再生紙は私もまえまえから「この白さは¨クロ¨だろう」と訝っていた代物なのでした。


さてさて、雑誌のページをめくるように、世の中の関心ごとはガラッと変わってしまいます。

千葉と兵庫で10人の中毒患者がでたことが発端となった「中国製冷凍ギョーザ」に今日本中がおののいています。

ギョーザだけでなく、「天洋食品」製品はこぞって取り扱う各社が自主回収を始めました。

新聞やテレビなどでそのラインアップを見渡すと「味の素」や「加ト吉」など有名どころをはじめ、確か9社くらいの商品たちが対象となっており、ぼんやりとは認識していたものの、あらためて日本の商品だが「じつは中国産ばっか」という事実に驚いたりしています。

NHKのニュースを観ていたらちゃんとパッケージなども見せながら、アナウンサーが「食べないでください」と訴えていました。

しかし、多くのパッケージにデザインされた¨豚さん¨などのキャラクターたちは、ニュースに出演することなど想定しているはずもなく、みんな可愛くてほのぼのとしてまるで緊張感がありません。

「君たち、事の重大さがわかっているのか!」と叱りつけても、「おいら知らないよブー」と返されそうです。

それから品名も不祥事にはふさわしくないものがあったりします。

新聞でリストを見ていたら、「ジェイティーフーズ」には<お弁当大人気!>シリーズがあるらしく

・お弁当大人気!ロールキャベツ

・お弁当大人気!豚肉のごぼう巻き

・お弁当大人気!2種のソースのロールキャベツ

などがあげられていました。

大人気!なのに「食べんな」って言われて回収されてしまいます・・・。


現在、「天洋食品」の製品を食して被害を訴えた人が1000人を超えたらしいです。なかには¨中毒ではない¨人もいるでしょうが、たしかに自分の食べていたものが後々「回収」されたと聞けば、気分が悪くなって、心配になってお腹のひとつも痛くなるかもしれません。

中毒の原因は「メタミドホス」という殺虫剤らしいのですが、患者の症状から「残留農薬の量」としてはありえないらしく、加工のさいに混入した可能性が高いと言われていますが、真相はわかっていません。

今の世の中、人、物、情報、あらゆる物事がものすごい量とスピードで動いています。

「毒の回りも早いな」そう感じて恐ろしくなってきました。

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再生紙のジレンマ

昨年、相次いで発覚する食品偽装事件を見聞きするたびに、自分が生業としている印刷業になぞらえたりしていました。

印刷用紙には様々な種類があります。Aという紙があり、それによく似ていて値段も安いBという紙があれば「BをAと言い張って」お客さんに納品してしまおう。ミートホープのやったことはそういうことなんだな、と頭の中で例えてみては、その不誠実さにあらためて唖然としてしていたのです。

17日、日本製紙をはじめとする大手製紙会社5社がこぞって契約の基準を下回った古紙配合率の年賀はがき(再生紙はがき)などを納入していた¨偽装¨が新聞で報じられていました。

年賀はがきの基準の配合率の40%にたいして、実際は最大でも5%しかなかったそうで、日本製紙の場合、他にも100%と謳っておきながら実際は59%しかなかった(コピー用紙)ことが発覚しました。

私があくまで頭の中で考えたことを、大企業が実際にやってしまっていたのです。

逆に私はお肉に例えてみたくなりました。牛肉100%ハンバーグに4割近くも¨豚さん¨が混ざっていたら、それはふつう「あいびき」っていうだろうに・・・。さらに牛肉が5%でした、なんて聞いたら「ええ!消費税分だけ?!」などと卒倒しそうです。

まぁお肉とちがって、再生紙には「何%古紙を含んでいれば再生紙である」という基準が無く1%でも古紙が含まれていれば再生紙とみなされるのですが(それもなんだかおかしいけれども)・・・。


さて、今回の再生紙偽装問題で私は再生紙の抱えている¨ジレンマ¨が浮き彫りになったと思っています。

かなり古い話ですが、週刊誌かなにかで「再生紙の在庫があふれかえっている。売れない。」という記事を読んだことがあります。

再生紙は、集めてきた古紙を洗浄してインクを落とし、バラバラになった繊維を接着してまた紙にしています。その一手間二手間の分コストがかかり、100%パルプの紙よりじつは値段が高い(全てではありませんが)。

そして、洗浄したといっても限界があり、古紙の配合率が高くなるほど白色度は下がり、その質感の程度も良くなくなります。

とうぜん、単純に考えるとお客さんは高価で質の悪いものは避けるでしょう。ノートは白く、見やすいほうがいいに決まっています。

「私は見た目や使いやすさではなく、環境に金をはらっているんだ」と、まず「環境に配慮する、という意識ありき」でないとなかなか再生紙はその価値を見出せないものなのではないでしょうか。

新聞によると、偽装表示をつづけた理由について日本製紙も「古紙の配合率を高めると、品質を犠牲にしなければならず、(中略)現在の技術では、はがき用では5%が限度だ」と釈明しています。

一方からは環境への配慮でひっぱられ、一方からは道具としての性能でひっぱられ、再生紙は今にも破けてしまいそうです。

需要と供給の間で、なんとかうまい着地地点を見つけられないものしょうか。


年がら年中紙に携わっている私としては、再生紙偽装はとうぜん大きな関心事ですが、世間一般の方たちはどうなのでしょうか。あまり「けしからーん!」と憤っている人とかいないような気がすのですが。

口に含んで体内に入る食品と違い、年賀ハガキの古紙の配合率が偽りだったからといって「ぞっとしたり」「お腹をこわしたり」「ましてや死んでしまったり」することはありません。体感としての恐怖がないのです。

牛肉の偽装に「まーいやだわー」と嘆いた主婦はごまんといるでしょうが、あんまり「コピー用紙にうるさいおばさん」とかいなさそうです。

業界の内と外で、けっこうな温度差があると思うのです。

それから先日、同僚と話していて不謹慎にも笑ってしまったのですが、再生紙の偽装とそれ以外の偽装に決定的な違いを見つけました。

ふつう偽装というのは、¨偽装したものの方¨が品質としては劣化しているはずなのです。地鶏と謳いながらブロイラーであったり、賞味期限のラベルをはりかえて古いものを売ったり、という具合に。

ところが再生紙に限っては道具としての質が¨良くなっちゃって¨いるのです。コストを重視し、競争に勝つためにインチキをした結果、見た目もきれいで書きやすく読みやすく、くわえて印刷もしやすい年賀はがきが大量に世の中に流通したのです。

再生紙のジレンマのせいで妙なねじれ現象が生じてしまいました。

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かわいい「チズハム」

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あまりにもデザインがかわいくて素敵だったので買ってしまいました。

昭和39年に発売されたものの復刻版だそうです。

「チズハム」とは「チーズとハム」のことのようで、実際にご飯にかけて食べてみたところパルメザンチーズにハムやノリが入っている、といった感じで、すこぶるおいしいとは思いませんでした。食べている途中でむしょうに「のりたまが欲しくなった」くらいです。

しかし昭和三十年代の庶民にとっての「チーズとハム」は外国の匂いがする、食べたときに晴れがましい気分になる高級食材だったのかなぁと考えると、当時の子供たちの笑顔が想像できて、四十五年生まれの私もどこか人恋しい、郷愁を感じました。

さて、どうして唐突に「エイトマン」なのかというと、丸美屋の1社提供でエイトマンを放送していたそうで、当時もエイトマンのオマケがついていたとのことです。

なので今回もエイトマンのフィギア(今っぽいな!)がはいっているのですが、おかげで、フェルト地を重ねて描いたような素敵なオランダの情景の中をエイトマンが駆け抜けようとしているという、シュールな絵になってしまいました。

創業80周年記念という丸美屋さんの¨企画¨なら、エイトマンはエイトマンで分けたほうがよかったのではないかと思います。

中身のパックも同じデザインなのですが、余計なイラストが無く、エイトマンがチューリップ畑を踏み荒らしていることがよくわかります。

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うまいものを食らう会~かに編~

月一のペースで友人と集まり、¨うまいものを食らう会¨を開いています。

今日はそのしめくくり。銀座の「かに道楽」さんに行ってきました。

私はかに道楽さんの¨うねうねと動く看板¨を見るたびに、地震かなにかの際、あれがドスンと落ちてきて、シャカシャカシャカーっと通行人を襲ったらどうしよう、などとお馬鹿な空想と心配をしてしまいます。しかし銀座店の看板はたんなる絵だったので、逆になんだか残念です。高速道路の下という場所のせいでしょうか。どこにでもついているわけではないんですね。

予約していた6時よりもやや早く入店さしていただくと、中は思いのほか広く、テーブル席にお座敷に奥には個室がいくつもありました。もう「誰でも来い」といった感じです。

個室のひとつに通され、座椅子に座ると、お殿様みたいな肘掛があり、そこにもたれかかると「おぬしも悪よのう」と悪代官に言い放ちたくなりました。

今日のメンバーは5人。おのおの好きなコースを選びましょうと言い合ったにもかかわらず皆「タラバかに炭火コース」を選択。じつは去年もかにでしめており、そのときは鍋だったので私はちがうものを食べたかったのですが、皆一様に普段はあまりお目にかかれない焼がにに魅力を感じたのかもしれません。

かに酢、刺身、茶碗蒸しが出てきました。どれもおいしかったのですが、私は刺身がいたく気に入りました。ねっとりとした食感の身と醤油とわさびのトリオが素晴らしいハーモニーを奏でながら口の中を通り過ぎていきます。「こんなもんばっか食ってたら人間ダメになるね」そう思ったくらいでした。

メインの焼きがには小さな七輪で焼きます。炭火でほどよく熱せられた網にタラバがにをおくと、しばらくしてプツプツと身から細かな泡が出て食欲をそそります。ひとつ目は食べるタイミングが早かったのか生の部分が多く(それでも充分うまいのだけれど)焼きならではの香ばしさがたりませんでした。なのでふたつ目はじっと我慢してかにがよく紅潮したうえにいい感じで焦げ目がつくまで待ちました。結果、かにはほくほくと嬉しそうな湯気をあげ、私の舌を楽しませたのでした。

このあたりで私は酒をビールから日本酒に移行しました。かにに限らず、海で泳いでいたものはやはり日本酒が一番です。

つづいて唐揚とす寿司が出てきました。寿司についていた「赤だし」もぬかりなく、ちゃんとかにが入っていたので感心しました。


まだまだいけるよとばかりに、コース外の¨かにグラタン¨までたいらげ、抹茶のゼリーをいただいて「ごちそうさま」となりました。

かにをあらゆる手段で食べつくす、まさに¨道楽¨でした。

会の面々は皆穏やかな人物が多く、殺伐とした雰囲気になることがありません。私は酒の席で会社や仕事の話を聞くのがあまり好きではありませんが、この会なら「まぁいいや」と思えますし、私は私なりに「笑い」の方向に昇華させています。

新年早々、神保町カレーツアーでも行きますかね。
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おいしゅうございました。

仕事納めの昨日、いつもとっている仕出し弁当はナシということで、あの¨はり紙の居酒屋¨でお昼ごはんを食べることにしました。

私は一人だったのでカウンターに座りましたが、他にもテーブル席が5つほどあり、細長い店内の奥にはお座敷もあります。

やはり夫婦が二人できりもりしており、奥さんがきびきびと注文を聞いて周まわり、旦那さんが黙々と調理します。そしてまた奥さんが快活な動きで定食を運んでくる、という流れができていました。

・ハムエッグとイカリング 116


・豚の生姜焼き

・カジキの煮付け

・赤魚の粕漬け焼き

私は4種類の定食の中から「カジキ」を選びました。

設置してあるテレビに映る「笑っていいとも!」の他愛もないやりとりを見ながら定食を待っている間にも、作業着を着た若者やOLさんたちが次々とやって来てなかなかの盛況です。

運ばれてきた定食は、ご飯に豆腐とあおさのお味噌汁、白菜のお漬物にあえものの小鉢がついていました。メインのカジキは上品にも白髪ねぎがあしらってあります。

「よかったらふりかけもどうぞ」と奥さんが言うので、近くに置いてある小さなかごの中のふりかけパックを見てみると、ほとんどが¨アンパンマンふりかけ¨だったり¨ゲキレンジャー¨だったので「素敵だ」と思いました。

薄めの味付けといい、多すぎない量といい、私にとっては何もかもちょうどいい昼食でした。

たいへんおいしゅうございました。

さて、とうとう今年は夜にあの居酒屋で酒を呑むチャンスがなかった私。店先の黒板に書かれた¨夜のメニュ-¨をみるにつけ「ぜったい来年は¨たこさんウインナー¨をつまみにビールを呑むぞ」と心に誓うのでした。


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ラジオ・チャリティー・ミュージックソン

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「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」に募金に行ってきました。


¨目の不自由な方へ音の出る信号機を¨を主旨に、毎年クリスマス・イブに行われているこの「24時間ラジオ」は今年で33回目をむかえます。

私はラジオが大好きなので子供の頃から聴いていますが、恥ずかしながら直接募金に行くのは2回目です。

前回は3年前、仕事帰りだったのでけっこう夜遅くにニッポン放送行きました。玄関にある¨愛の泉¨にコーヒーの瓶にためた僅かながらの募金をさせていただくと、親切なスタッフに「今スタジオで生放送していますんでぜひご覧になっていってください」と言われました。

スタジオはちょっと笑ってしまうくらい地下にあるのですが、階段の壁にはミュージックソンの歴史を紹介する写真パネルが展示され、「昔はラジオも欽ちゃんがやっていたんだよな」と下りながら懐かしい気分になりました。

スタジオに着くとガラス越しにかなり広いブースがあって、たくさんのスタッフが電話で募金の受付をしており、上柳昌彦アナウンサーとメインパーソナリティーだった石原さとみさんが喋っていました。

目の前にいる二人のやりとりが、そのままスタジオ内に¨放送¨されているので、とても不思議な感じがしましたが、なかなか体験できることではないのでえらく感動したのを覚えています。


さて、今回のメインパーソナリティーはKAT-TUNです。人気絶頂の彼らですから「若いおねーちゃんたちとひとりで並ぶのはいやだなぁ」とか不安になりながら有楽町へ向かいます。

いやーハンパではありませんでした。「なんだこれは!」と思わず声をあげてしまうくらいの行列ができていました。私はびびりました。

近くにいたスタッフに尋ねてみたところ、幸いこれは「スタジオ見学」の列だそうで、私はスムーズに募金をすることができ(安堵)、田口君と赤西君のステッカーをいただきました(笑)。

募金をした後は、ミュージックソンのイベントのひとつとして、ニッポン放送の前で街頭ライブをしていた工藤慎太郎さんの歌に聴き入りました(ユニクロのCMで♪ずっと~いっしょに~、と歌っている人です)。

そして私はスタジオ見学の超長蛇の列を「見学」してみました。ニッポン放送の前には第一生命の大きなビルがあるのですが、列はそれを一周してしまいそうな勢いで、ざっと見積もって2000人は並んでいるいるように思えました。やはり若い女性が99%を占めており、中にはカップルの姿も・・。それとなんの関係もないけど「ダウンジャケット流行ってんなぁ」とあらためて実感したりしました。

私が募金に行ったのは午後2時頃。最後尾の人がスタジオに入れるのはおそらく夜になると思われ、「せっかく何時間も並んだのにたどり着いたときたまたま赤西君が¨トイレ休憩¨だったらどうすんだろう」と哀しい空想をしてみたり、人気の差異はあるだろうが、3年前のイブにすんなりスタジオを見学できたことはつくずく「恵まれていたな」とふり返ったりしました。

ミュージックソンで集められた募金によって今まで2722基の音の出る信号機が設置されたそうです。しかしまだまだ充分とは言えず、メンテナンスや、古くなれば交換もしなければなりません。

すこしでも目の不自由な方の役に立てれば、と、私は今日からまた来年に向けて「小銭を貯めよう」と心に決めたのでした。

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クリスマスおにぎり

クリスマスに泣いている人を見たことがあります。


高校生のとき、私は川崎のちょっと名の知れたパーラーでアルバイトをしていました。店頭ではケーキが売られ、奥に入るとけっこう広い喫茶室があるのですが私はそこでウェイターをしていたのです。

クリスマス・シーズンはまさに書き入れ時で、総動員でケーキ工場を手伝ったり、駅前で寒さに震えながらケーキを売ったりもしました。

ある年のイブ、私は誰かが箱ごと落っことしてしまい、売り物にならなくなったケーキをおみあげににもらって家に帰ろうとしていました。夜もかなり更けて、最寄のJR武蔵小杉駅に着いたころには、12時をとうに過ぎていたように思います。

改札を出ると構内はあまり人影がなく、終電が近いのか(私の電車が終電だったかもしれない)、ところどころの電灯が消されていて、辺りは凛とした空気と静寂に包まれていました。

ふと見るといくつか並んでいる公衆電話のひとつで女の人が電話をしていました。その近くをなにげなく通り過ぎようとして私はドキッとしました。

「どうして・・・どうして・・・」

小さな声でそう言いながら女の人が泣いていたのです。

もちろんその人に何があったのかはわかりません。そのころからクリスマスは恋人たちのものというイメージが定着していたので、すぐ「彼氏とトラブルか」などと考えてしまうのですが、そうでないかもしれません。相手は家族かもしれませんし、お腹がすいて家に電話したら夕飯がもう残っていなかっただけかもしれません。

そんな止め処もない空想はともかく、クリスマスに泣いてしまうなんて普通の日の倍切ないなぁ、などと思いながら
私は夜の街を歩いていったのでした。


クリスマスイブにセブン‐イレブンでごま油を買ったことがあります。

一人暮らしをしていた頃のことで、仕事が遅くなってしまい、自炊をしていた私はごくごくあたりまえの思考で「あ、切らしてんな」と思い、ごま油を買ったのです。時刻は11時をまわっていました。

しかしレジの辺りで今日がイブであることを思い出し、ちょっと恥ずかしく、可笑しくなりました。

「イブのこの時間に、コンビニでごま油を買っている人が世界でどれだけいるかしら」と自嘲しながらビニール袋をもって店を出たのです。

店の前に止めてあったバイクを出そうとすると、近くにスッと立っている女の人がいました。そしてふと見るとその人は泣いていたのです。しかもおにぎりを食べながら。

けして変な人には見えませんでした。当時「アムラー」と呼ばれていた類の、ミリタリーコートをびしっときめ、黒いブーツを履いた若い女の人は、おにぎりを一口かじると、涙がこぼれないように、そして何かに挑むように、キッと夜空を見上げ、またおにぎりを一口かじっていたのでした。

いったい何があったのか。クリスマスに泣きながら食べるおにぎりはどんな味なのか。解りようがありませんが、私はその人がとても哀れで、それでいてこの上なく美しく見えました。辺りには小杉で泣いている女の人を見たときのように、凛とした空気が漂っていました。


新しい年が近づいてくる高揚感も手伝って、クリスマスになると世の中は華やぎ、騒がしくなります。街のあちこちに施されたイルミネーションの光と色やあふれかえる音楽に包まれれば、「世界が二人を讃えているようだ」と恋人たちは思うでしょう。クリスマスは一年でもっとも素敵な日のひとつです。

一方で、日本のクリスマスは他の国と比べて「祝う」という意味合いが端へ追いやられていて、「イベントにのっかる」くらいの、聖夜とはほど遠い、軽さや薄っぺらさを私は感じてしまうのです。

観光地に行くと、ご当地ゆかりの武将などが描かれた看板があり、顔のところだけくりぬいてあります。そこに顔をいれて記念写真を撮れ、ということだけれども、私はクリスマスになるとあのベニヤ板の薄っぺらさを思い出すのです。

「表参道のクリスマス」や「六本木ヒルズのクリスマス」や「ディズニーランドのクリスマス」の¨絵¨が描かれた巨大な看板に無数の穴が開いており、みんながこぞって顔だけつっこんで騒いでいるような空しさを・・・。

しかし、小杉で泣いている人を見たあの夜には深さや広さが感じられたのです。

おにぎりを食べながら泣いている人を見たあのイブには間違いなく「奥行き」があったのです。

私はいつもよりクリスマスが立体的に見て取れたのです。


今年もクリスマスがやってきます。条件反射のように山下達郎の「クリスマス・イブ」がところどころから流れてきます。よくよく歌詞を聴いてみると、あれもけっこう哀しい歌ではないか。

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シンクロナイズド・モーニング

¨規則正しくしていると規則正しい人と出会う¨ということが最近わかりました。

私はどちらかといえばズボラでデタラメな人間ですが、何故だか朝は几帳面にスタートを切りたいのです。

毎日同じ時間に起き、同じ時間に家を出て駅へ向かう、という具合に。

すると駅のホームにはいつも似かよったメンバーが立っており、電車に乗り込むとよく見る人がまた同じ席に座っていたりします。

規則正しい私とシンクロ(同調・同期化)するその人たちもまた、間違いなく規則正しい行動をしていると私は思えてなりません。

バイクを走らせているときに、同じスピードのバイクに並ばれると、そのバイクだけはっきり見え、他の風景は「ざざざーっと」流れていくように、私の朝は規則正しい人たちにばかりピントが合っている感じがします。


地下鉄を乗り継ぎ、都営三田線の春日駅を出ると、私はそこから会社まで15分ほど歩かなければならないのですが、その最中にも何人かの規則正しい人たちと出会います。

来るぞ来るぞ、と思っていると、昨日と同じ女学生が軽やかに自転車をこぎながら前方からやって来ます。

そしてまた来るぞ来るぞ、と思いながら歩いていると、いつもの「角」からいつもの小さいおばさんが「ひょいっ」と現れるのです。

まるで街全体がゼンマイじかけになったようで私は時々可笑しくなるのですが、むこうはむこうで「またあの男だ」と思っているのかもしれません。

さて、そんな中、ひときわ異彩を放っている人がいます。

その男の人はいつも¨走っている¨のですが、けしてジョギングではありません。

痩せた30代前半にみえる男はダークグレイの背広を着て、いかにもサラリーマンといった感じの黒いカバンを持ち黒い靴を履いて、歩道を歩いている私を¨車道から¨追い抜いていくのですが、そこに「さわやかさ」はひとかけらもなく、泣いているみたいに顔はゆがみ、「はっ はっ はっ はっ」という息づかいは嗚咽のように聞こえます。そしてなによりフォームがだらしなさ過ぎるのです。

何かに追われているようにも見えますし、吸い寄せられているようにも見えます。ともかく、本人の意思とは関係なく走らされているような悲壮感がビシビシと伝わってくるのです。

はじめは「遅刻か」と思ったのですが、そんなにしょっちゅう遅刻する人がいるのかどうか疑問ですし、そもそも男の走っていく方向は駅とは真逆なのでわからなくなりました。

ある朝、コンビニで買い物をしてレジに並ぶと、目の前に¨あの男¨がいてギョッとしました。しかし、そのときも男は「あぁもうお会計がもどかしい!」といった感じで「1,2,1,2」と足を動かしており、「だったらコンビニなんて寄らなきゃいいでしょうが!」と叱りつけたくなりました。そして私は「今度からトレーニングウェアでも着てらっしゃいよ」と冗談ぽく思ったのでした。

ところが数日後に会ったとき、男はトレーニングウェアどころか「ランニングシャツにショートパンツ」という完璧な戦闘態勢で私を追い抜いてゆき、「とうとう¨走り重視¨になった!」と、開いた口がふさがりませんでした。

しかし、よくよく見てみると何故かカバンだけは前と変わらぬサラリーマンカバンだったので、「会社を辞めたわけじゃないんだ」と妙な安心もしたりして、私はますます混乱しました。


じつはここ何ヶ月もあの¨走る男¨とシンクロしていません。いつごろからか急に見かけなくなったのです。

会わないなら会わないで、なんだか物足りなく、私は一本早い電車に乗ったり、逆に遅れてみたりしているのですが一向に会うことができません。

何故に男は走っていたのでしょう。

どうして私とシンクロしなくなったのでしょう。

やめてしまったのでしょうか。

何かゴールを見つけたのでしょうか。

何か¨達成¨したのでしょうか。だとしたら何を達成したのでしょう。

お百度参りみたいなもんだったのでしょうか。

そもそもあの男は何を生業としていたのでしょうか・・・。


いくつもの謎を残したまま、男は私の朝から消えました。


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同姓同名の憂鬱

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昔々、あるところに住む田中さんは、自分の息子を「角栄」と名づけました。

当時の自民党の政治家からとったのです。

けっこう変わった名前ではありますが、芸能人やスポーツ選手など有名人から名前をいただくことは珍しいことではありません。

もちろん田中さんにはなんの悪気もありませんでした。

しかし、政治家・田中角栄はやがて総理大臣になり、そこまではよかったのですが汚職事件をおこし逮捕されてしまいます。

小学生になっていた「田中角栄くん」はイジメにあいました。これは私の想像ですが「おーい、ロッキード!」などと呼ばれていたのでは。

田中さんは親として「これはまずい」と責任を感じたのでしょう。裁判所に息子の改名を求めました。

30年くらい前の話ですが、たしかこの改名は「認められた」と記憶しています。

現在ではいいオッサンになっているはずの「元・田中角栄くん」は、どこでなにをしているのでしょう。


高校のとき、バイト先で先輩と入学式の話をしたことがありました。

私の高校の入学式のプログラムの中に、担任が次々と生徒の名前を読み上げ、呼ばれた生徒は「ハイ!」と起立していく、というのがあったのですが、私の代は12組もあり、人数にすると500人以上いたので「かなりうざったかったよ」という話をしたのです。

先輩は別の高校でしたが、同じようなことを俺らも入学式でやったと言いました。

そのとき、ちょっとした事件がおきたそうです。

先輩の同級生に¨シムラケン¨という名前の人がいたのです。

先生が名を呼び生徒が答えていく。それが何度も繰り返され呪文を聞いているかののように眠気さえ覚えるさなか、突然、日常を打破するやりとり。

「シムラケン!」

「ハイ!」

体育館が笑いに包まれたことは容易に想像できました。

シムラケンくんはきっと「なんでこんなセレモニーがあるのか」と憤り、親を恨み、志村けんを呪ったに違いありません。

先輩は「シムラケンくん」のひととなりについては何も話しませんでした。ハンサムで真面目な人だったかもしれませんが、私は入学式でもう¨彼の高校生活における座標軸、およびベクトル¨みたいなものが決まってしまったみたいで哀しくなりました。


テレビなどでニュースを見聞きしていると「今ごろこの人と同じ名前の人はかなり肩身の狭い思いをしているのでは」と心配になります。たとえば全国の¨畠山鈴香さん¨にたいして。

最近一番思いを馳せたのは「姉歯さん」です。

もし今1級建築士目指している人の中で姉歯さんがいたら、その夢を断念してしまうのではないか。姉歯といえば偽装、偽装といえば姉歯などと世間ではイコールになってしまっている。なんのひねりもなく「姉歯設計事務所」などと看板をかかげても仕事にならないのではないだろうか。

「姉歯不動産」も「姉歯鉄工所」も「姉歯プリン」も誰も手を出さない!(まぁプリンないでしょうが)


犯罪者はもちろんですが、よくよく考えてみるとヒーローやヒロインと同姓同名というのも、かなり迷惑で重荷になっているのではないでしょうか。

野球好きの松井さんは息子に¨秀喜¨と名づけ、野球をやらしたりします。誰だってエラーや三振はするでしょうに秀喜くんは言われてしまうのです。「かーっ!松井のくせに!」

転校生が来ます。黒板には「堀北真希」とだけ書かれてあります。クラスの男子は100%美少女を想像します。しかし¨あの¨堀北真希みたいのがそこらへんにゴロゴロいるわけもなく、また想像や妄想にかなう現実もなかなかなく、やってきた生徒はあまりパッとしません。男子は大ブーイングです。「かーっ!堀北のくせに!」

全国の福山雅治さんや仲間由紀恵さんや長澤まさみさんはたいへんだ。なんだかニセモノあつかいです。


ネットで自分の名前を検索したら、もう一人の¨私¨は京都の学生さんでした。

どうか悪人にもヒーローにもならないでいただきたい。

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復活!ハックちゃん。

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10年くらい前に若い社員が集められ、会議がひらかれました。

その会議はあまり堅苦しいものではなく、「この会社をよりよくしていくためのアイディアを出せ」といった趣旨のかなり大雑把なもので、ある女子社員からは「かわいいペットを飼って話題を集める」なんて意見も出て、けっこう緊張して出席した私は「そんなんでいいのか」とちょっと呆気にとられたりしました。

私は(印刷と製本が仕事なので)「本の修理屋をやってみたらどうか」とか、神保町の「顔のYシャツ」のように会社を奇抜なデザインにして町のランドマーク化を計る、なんて提案をしました。

しかし私は一番やってほしい¨アイディア¨を言い出せずにいました。

会議の前、私はうちの会社にもマスコットが欲しいなぁと思い、紙にたたたーっとサインペンと色鉛筆でキャラクターを描きました。会社名をちょっともじって、「ハックちゃん」という名前をつけ、課の先輩や親しい上司とうちわで盛り上がっていたのでした。

まぁあくまで¨ジョーク¨だったので、実際の会議で「これどうでしょう」と私の落書きを見せるのは気が引けたのです。

ところがハックちゃんを見せていた上司が「彼がマスコットを考えたらしいんだけど」と話を振ってくれて、私は「一応持ってきていた」ハックちゃんのイラストを皆に見せることになってしまいました。

A5にもみたない小さな紙に描いたハックちゃんが皆にまわっていきます。その中には常務(現在の社長!)もいました。私は恥ずかしすぎて、穴があったらダッシュで飛び込みたい気分でした。

結局、会議はどこにも着地しない、あやふやな形で終わりました。

が。

私が職場に戻り、機械をまわしていると、私あてに常務から電話がかかってきました。常務は低く深い声で

「さっきのハックちゃん。あれいいねぇ」と言いました。

なんでも、なにかに使いたいからもう一回ちゃんと描け、とのこと。私は嬉しいやら恐縮するやらでかなり舞い上がりました。

描き直し、パソコンで加工され、よりマスコットらしくなったハックちゃんは、営業がお客様とのやりとりに使うメモ用紙にデカデカと刷り込まれたのでした。

あの会議で具現化したのはハックちゃんだけだったように思います。そのハックちゃんもメモ用紙以外には広がりをみせることもなく、次第に忘れられていきました。

時は流れ、最近になってまた一本の電話が職場にかかってきました。今度は営業の次長さんです。

「ハックちゃんの版下って残ってるかなぁ」

久しぶりに他人からハックちゃんの名前を聞いた私。「けっこう前のことなんで、もう無いと思います」

「ああそう・・・あれまた使うかもしんない」

はぁ?今ごろなんで。私はちょっと戸惑いました。

しばらくったて、私の職場に若い営業が来ました。

「昔会社にハックちゃんていうマスコットがあって、それを課長が描いたって聞いたんですけど」

「そうだよ」私は10年の間に課長なんぞになっていたのだね。

よくよく訊いてみると、営業がお得意先のやりとりする(メモ帳でなく)書類を新しく作ることになって、なんでも¨お客様の方から¨「ハックちゃんを入れてほしい」との要望があったといいます。

私は嬉しくなりました。社内でも知っている人が少ないハックちゃんをお客様が覚えていてくださったなんて。そして¨会社をよりよくするため¨10年前に考えたハックちゃんが、1円の利益もないにしろ、ちゃんとお得意先と営業のコミュニケーションにやくだっていたなんて・・・。私はほんとうに嬉しかった。

翌日、その営業が色紙を2枚持ってきました。例の書類とは別件でお客さんのために色紙にハックちゃんを描いてほしいととのこと。しかも○○さんへ、と名前を入れて。どうやらお客様の中にちょっとしたハックちゃんファンがいるらしいのです。

恐縮です。嬉しいです。喜んで描かしていただきました。

ハックちゃんのおかげで胸の弾んだ一週間でした。

これからもモリモリ仕事しますよ。

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銀座

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雨の銀座。昔、銀座は建築物の高さを制限していたので(30㍍くらいだったかな)、街の景観に統一感があり、整然として美しいです。
あいにくの空模様でもどこか趣がありますね。

昨日は4丁目交差点近くのスペイン料理「びいどろ」で友人らと昼ごはんを食べました。

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甥っ子の運動会

甥っ子へ。

君が運動会だっていうんで、オジサンはまたノコノコカメラをもってでかけて行きましたよ。

昨年とは保育園も変わり、場所も体育館のような室内ではなく野外。近くの小学校の校庭を借りて、規模も大きくなっていました。

そして1歳お兄ちゃんになった君の「出番」は格段に増えていましたね。

一番最初は「かけっこ」。

昨年はママといっしょだったり、みんなといっしょにやるものばかりだったけれども、これは生まれてはじめての個人競技。オジサンはまるで自分が走るみたいにドキドキしながら、ゴールでカメラをかまえて待っていました。

よーい、スタート!

君は走りだした。なんだかみんなが走りだしたのでボクもいたしかたなく、といった感じで。

その初動の遅さが最後までひびき4位。君は「4」の旗のもとに座る。6人中4位。微妙な順位にオジサンは苦笑いです。

「障害物競走」と言っていい、次の競技はかなり難易度が高いように思えました。

君がスタートすると最初に待っているのは鉄棒でした。ケツのでかい君は保母さんの補助をうけながらクルッと逆上がりもどきのようなことをしてクリアしました。
次に平均台をちょちょちょちょちょと渡り、マットの上ででんぐりがえしをしました。君に限らず、小さな子供のでんぐりがえしはこのうえなくほほえましい反面、いつか首を「ゴキッ」とやってしまうのではないかと心配でたまりません。
ラストはお尻を地面につき、腕を水平にあげ、足をピーンと伸ばしポーズをきめます。「V字バランス」というやつでしょうか。あじなことをやらせるなぁ、と思いましたが、君は見事に「きめて」いました。

観戦しながらオジサンは競技というより君の成長そのものを応援し、喜んでいる気がしてきました。あのハイハイしかできなかった君がでんぐりがえしかぁ・・なんて調子で。ママやババも同じようなことを考えていたと思いますよ。
そしてあの会場全体もそんな幸せな空気につつまれていた気がします。

次はみんなでお遊戯。アップテンポの曲で全体としてはかなりいい出来。こんな小さな子たちでもまとまるもんだなぁ、と感心しました。君はときどき人とはちがう、オリジナルのふりで踊っていましたね。そこだけは先生の振り付けがどうしてもきにくわなかったのかな。

最後はパパさんと「玉ころがし」をしました。
前半は玉のあるところまでパパさんが君を抱っこしてものすごいスピードで走ります。若さをみなぎらせ、風のように駆けていきます。
玉に到着すると二人は玉を転がしながらUターンしてきました。
君は玉を転がしているというより、転がってゆく玉を必死に追いかけているだけでした。そしてそのままゴール。

オジサンは今後なにかつらいことがあったら、玉ころがしの君を思い出すことにします。なんだか元気が取り戻せそうです。

閉会式で君は参加賞の景品のアンパンマングッズをもらってご満悦。その日一番いい笑顔をみせました。

朝の9時からお昼までの短い時間だったけれどオジサンは楽しかった。

君はケガもなく泣くこともなかった。めでたしめでたし。

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期待を裏切らない出来。

あの居酒屋のシャッターに、新たにはり紙がはられていました。しかも3枚。

前の2枚も残してあるので、シャッターははり紙だらけ。もうそれだけで笑えます。


店長の退院はまだまだ先になりそうですが、助っ人を頼み、9月3日から店長不在のまま夜だけ営業を再開するそうです。


<何分、不慣れ慣れでございますので/山ほど不都合おかけしますが/ご来店おまちしております。/と、書きながらドキドキしています>

などと、れいの調子で書かれており、最後はこう締めてありました。

<ビビリですいません>

すばらしい!!最高です。どんだけ自信ないのよ!!

はり紙ひとつでこれだけ私の心を奪い、「今度あの店に行こう」と思わせる、奥さん(たぶん)の才覚。

ファンをかるく超越して惚れてしまいそうです。


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貼紙のつづき

ふと気づくと、会社のすぐ近くにある居酒屋のシャッターが下りていました。

閉店したのかしら、と思い、近づいてみると2枚はり紙があって、店長が骨折したための「臨時休業」だということがわかりました。

しかし、「8/20」付けとなっている1枚は黒いマジックで<店長、店内清掃の際どうしたものか骨折してしまいました>だとか<只今病院でおちこんでおります>などと、まるく可愛らしい、「女の人の字」で書かれており、その文面からはあまり深刻さは感じられず、どこかひょうきんで面白がっている気配さえありました。

<今後の予定がたちましたらまたお知らせします>と、しめているのでもう1枚「8/24」付になっているはり紙を読んでみると・・・

<ご迷惑おかけしております。昨日、手術をいたしまして、何本かボルトが入りました。空港のゲートで¨ピンポーン¨と鳴ってしまうしまうのでしょうか・・・・数日ののちリハビリがはじまるようです。>

と書いてありました。相変わらず文章は明るく、なんの必要もないのに「1ネタ」もりこんでさえあります。

私は思わずぷぷっと吹き出してしまいました。

ふつう休業の知らせなんて「誠に勝手ながら店主の都合によりなんたらかんたら」などと紋切り形の文章ではりだされているものなのに。

いったい誰が書いたのでしょう。

一度、お昼に定食を食べに行ったとき、夫婦と思われる40歳くらいの男の人と女の人が甲斐甲斐しくきりもりしていました。

あの男の人が店長だとしたら、奥さんが書いたのでしょうか。

だとしたら私は奥さんのファンにならずにはいられません。最高です。

ある意味お店のピンチなのに、あんなのんきなはり紙がかけるなんて!!!

職業にはあきらかに向き不向きがあると思います。奥さんの明るさや面白さから感じ取れるサービス精神は間違いなく居酒屋のような客商売に向いています。天職です。

ひょっとしてアルバイトに若い女の子がいて、その子が書いたのかしら、とも思いますが、どちらにしろなんだかいい雰囲気のお店です。

会社の目と鼻の先にあるにもかかわらず、そこで1回も呑んだことはないのですが、無性に行きたくなりました。

その前にあのはり紙の続きがたまらなく見たいです。

ああ、もう! 店長のリハビリの経過はどうなんですか!!!

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マニラ化

昨日、仕事を終えて会社を出た私は少し焦っていた。

「早く帰らないと多摩川の花火大会が終わってしまうぞ」

べつに花火が観たかったわけではない。

電車で二子玉川を通る私は混雑を恐れていたのだ。

以前、それは渋谷で遊んだ帰りであったが、二子玉川に見物人が集結する時間と重なってしまった。

ノロノロ運転の末にちっとも電車が動かなくなって、たまらなくイライラした。

「終了後」はもっと大変で、会場近辺は大渋滞が起きる。

もうそれは渋滞というよりは、道路に膨大な車の群れが駐車してあるかのようで

昔、高津からバスを使っていた頃の私はあきらめて4、50分かけて歩いて帰ったことさえある。

花火大会の日は出かけずに、家から観るのが一番と思っていたが、昨日は仕事なので致し方なかった。

用賀を過ぎ田園都市線が地上へ出ると車内がなんだかざわつく。

とうぜん、ほとんど乗客が花火大会が行われているのを知っているのだ。

車窓から高架下を見るとものすごい人の波で、私はかなりびびったが、電車はかなりスムーズに二子玉川の

ホームに入った。

ホームにあまり人はいなかった。時計を見ると7時50分くらい。花火大会終了まではまだ少し間がある。

どうやらピークは避けることができたようだ。

電車はいつもより長く、5分ほど停車していた。その間ずっと花火に見とれていた。

「こんなところからでも花火は綺麗だな。っていうかむしろ特等席なのでは」そう思った。

二子玉川のホームの半分は多摩川の真上にある。

電車の乗客だけが川の真ん中から花火を見ることができるのだ。

高津に着くと私は急いで駐輪場においてあったバイクを発進させた。

時刻は8時を過ぎている。花火大会は終わった。バイクなら家まで10分とかからないが渋滞にはまると

やっかいだ。

ふだんは寂しい高津駅のまわりもさすがに人が多かった。接触しないように低速で走って府中街道へ出る。

あとはまっすぐ一本だが、1,2分走ると第三京浜の辺りで急に混みだした。

車やバイクの「縦軸」に見物帰りの人の波の「横軸」が交差しているのだ。

信号が青になり、ベクトルが「前へ」となると、ともかくすごい密度で車が、バイクが、自転車が、人や

ワンちゃんまでが絡み合いもつれ合いながら進んでいくのだ。

スルスルとすり抜けてきたバイクも、一台大きなトラックなんぞがいるとそれが「壁」になってしまい

トラックの後に5、6台のバイクが堰止められる。

「なんじゃこりゃ」そんな中で私は笑いがこみ上げてきた。

結局、いつもの倍時間がかかったが、家にたどり着くことができた。

着いてから、あの路上から見た滑稽なほどの混雑ぶりと似たような風景をどこかで見たな、と思った。

さんざん考えたあげく、それはテレビのニュースで見た「マニラ市内」という結論に至った。


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Heartbeat

HMVでなんの考えもなく手にとった一枚のCD。そして目に飛び込んできた文字。

ドン・ジョンソン/ハートビート

ぬぉっ、これは私が長年探し求めて来た曲ではないか!!


「お、これいい曲だな」と思っても、誰が歌っているのか、タイトルはなんていうのか、知りたくても何の手がかりもなくて苛立つことがある。

街を歩いていたら聴こえてきた流行歌らしきものとか、CMだとか。いちばん多いのはラジオをつけたら流れてたケース。曲が終わったあとにまたタイトルをリピートしてくれたらいいんだけれど、しないときもある。せっかくリピートしてくれても、DJのかつ舌が悪い場合や逆にFMなんかだと「おまえの英語はネイティブすぎて解らんわ!!」てときもあった。

「ドン・ジョンソンのハートビート」も2回くらいラジオで聴いただけ。もしかして1回かもしれない。確実に覚えているのは、高校のとき友だちの家で酒を呑んだときラジオから流れてたこと。もう20年も前だ。

以来私はサビのところの「♪ハ~トビ~ルッキンフォッ」のメロディーと、洋楽である、というわずかな手がかりだけで「その曲」を探してきた。

洋楽に詳しそうな人に出会うたび「♪ハ~トビ~ルッキンフォッって曲なんですけど知りませんか」などと、いちいち歌ってきたのだ。

じつは働き始めた頃、会社に洋楽好きな人がいて「それはドン・ジョンソンのハートビートではないか」と教えてもらっていた。

ところがレコード屋にすっ飛んで行ったがなぜか無いのだ。ドン・ジョンソンさんのCDが。HMVにもタワレコにもどっこにもおいていない。情報がまちがっていたのかしら、と思いながら、うやむやになってしまった。それももう15年くらい前のことだ。

もうほとんどあきらめていたというか忘れていたのだけれど・・・。

家に帰ってドキドキしながら「そのCD」をプレーヤーにかけてみる。たしかにこんなような男の声だったけどテンポが若干遅い気がする。不安にかられる。そしてサビにきた。

「♪ハ~トビ~ルッキンフォッ・・・」

これだ~!!間違いない。後半の変な変調も、そうだったそうだったと思い出し、16歳の時分が甦る。私は感動した。20年ぶりの「再会」である。

謎も解けた。私が購入したCDはTHE RAREST 80’sといって、簡単にいえば80年代の隠れた名曲や「一発屋」をよせ集めたアルバムで、G.Iオレンジなんて笑ってしまうくらい懐かしい人たちの曲も入っている。
ライナーを読んでみると、ドン・ジョンソンは「特捜刑事マイアミヴァイス」というドラマで刑事役をやった(ほんとは)俳優なのだそうだ。そういう片手間シンガーゆえにドン・ジョンソン名義のCDが探しても探しても見当たらなかったのでは、と推測する。(当時はなんと全米N0.1の大ヒットだったらしいが)。

私の記憶の中で、まだ迷子になっている曲がいくつかある。

いったい誰の歌なのだろう。タイトルはなんというのだろう。

いつかまためぐり合う日のために、私は空にむかってそのメロディーを口ずさむ。

忘れないように、忘れないように・・・。

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納豆カレー

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カレー好きの私ですが、CoCo壱番屋はなぜかずいぶん昔に一度行ったきりでした。
会社の近くで発見したお店に入り、ありきたりなカツカレーなどではつまんないな、などと思いながらメニューを睨んでいると「納豆カレー」の文字。私は発作的にそれを注文してしまいました。
あまりうまそうではない、何かの「事故」ともとられかねないそのビジュアルにさっそく少しひきながら、一口食べてみてまず思い出されたのは「納豆チャーハン」です。
子供の頃、よく母親がありあわせで作ってくれたのですが、あの油っこい、味のついたご飯にさらに納豆が混ざってくる感じ。
「悪くないぞ」納豆チャーハン同様そう思いました。
しかしその「悪くないぞ」はとうとう全部食べきるまで「こりゃいいぞ」に発展することはありませんでした。
あたりまえの話ですが、料理というものは各々の材料の味、風味、食感などの「相乗効果」で成り立っているものです。
カツカレーで例えれば、カツはカレーを美味しくしてカレーはカツの旨さを引き出す、といった具合です。
残念ながら納豆カレーにはそんな「互いが互いを思いやっている」様子はなく、「納豆カレーを食った」というよりも「納豆 と カレーを食った」という食後感しか残りません。
私のような納豆大好きカレーも大好きといった「マニア向け」ですね。
ただ音楽でも、不協和音(デミニッシュコード)がいいアクセントになっていたりするし、一聴するとちょっと気持ち悪い変拍子も、聴いているうちにクセになっていたりするので、納豆カレーもいつかブレイクするかもしれません。
なんだかんだといいながら、「福神漬をどっぷりかければうまくなるんじゃないか」「発酵つながりでチーズをトッピングしてみたら・・」などと納豆カレーの身を案じ、「いつかまた食うぞ」と正直思っている私は、もうすでにヤツの虜かもしれません。

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向田邦子

042


世田谷文学館というところで向田邦子の企画展が催されている。
題して「向田邦子 果敢なる生涯」。
私は京王線芦花公園までのこのこ行ってきた。
向田自身とその仕事に迫る企画展は、豊富な写真、所有物、台本や生原稿が展示され、かなり充実していた。
「父の詫び状」にはじまる数々のエッセイがとくに好きな私はそれらの生原稿を目の当たりにして感激した。
ほんとうに字が汚くて嬉しくなった。「マスク」に書いてあるとおり、あれではたしかに写植屋も苦労したに違いない。
私は向田の作品を立体的にみることができて大満足だった。
ただやはり、膨大な作品や写真が飛行機事故という悲劇に向かっていること知ってしまっている私は、ぐっと胸をしめつけられ、たまらなく切なくなった。

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駒場東大前

「有機溶剤作業主任」という資格をとった私。
仕事がら必要なのでもっと早くもっているべきだったのだけれど、誰からも何も言われなかったのでほっぽらかしだった。ところが、最近お役所から突っつかれて早急に講習をうけることになったのだ。
「そんなに難しくはない、2日間の講習と簡単な試験ですぐとれるよ。」
そんなまわりの言葉に、けっこうリラックスして挑んだ私だったが、とんでもなかった。かなり追い詰められた!
まず、会場に着くと私のようなオッサンはかぞえるほどで、あとは皆高校生なのだ。就活や就職後に有利なように学校がとらしてくれるんだろうが、匂うような若さの中で私の心はすっかり萎縮してしまった。
くわえて講習の内容も思いのほか難しく感じられた。先生の話はわかりやすいのだけれどキシレンだのトルエンだの物質名がポンポンでてくる。これは化学の授業だ、きちんとノートをとらないとまずいぞ。私は焦った。
最後に受けた試験の「手ごたえ」も良くなかったので、結果がわかるまでの2週間、ほんとうに悶々とした。私は会社の金で受講しているし、そのために2日も休みをもらっている。生きた心地がしなかった。
それだけに終了証(つまり合格通知)が届いたときはこのうえなく嬉しかった。
結局はなんだかいい想い出になった。会場になった東海大学の講堂は井の頭線の駒場東大前にあり、息のつまるような精神状態のなかでも「いいところだな」と思った。とくに駅の近くにある踏み切りは素敵で、その頃咲いていた桜と相まって何ともいえない詩情があった。
「ぜったい合格して、穏やかな気持ちでまたここへ来るぞ」と私は誓った。
あれから1ヶ月、私はまた「駒場東大前」に行ってみた。桜のピンクは5月の日差しにキラキラと喜ぶ緑色になっていたが、あいかわらず美しかった。渋谷から二駅しか離れてないところであんな風景が見られるなんて不思議な気がする。今日は快晴だったが、きっとあそこは雨でも曇りでも素敵だろうな!!029


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まんだちさんが立っていた。

そのまんま東が宮崎県知事に当選した日のニュースで、NHKのアナウンサーが真顔でそのまんま、そのまんま、と連呼していて私は爆笑した。痛快だった。翌朝、通勤電車の中を見渡すと、「そのまんま」の活字を一面に大きく載せた日経新聞を読んでいる人が何人もいて、私はおかしくてしょうがなかった。彼がそれを見越してそのまんま東の名で届け出ていたとしたら、一芸人としてたいしたものである。さて、私が今いちばんNHKのアナウンサーにその名を呼んで欲しいのが、まんだち幹夫さんである。まんだちさんは共産党の人で、職場の近くのあちこちにポスターが貼ってあり以前から気になっていた。なにせ「まんだち」である。100や200ではない。「まん」ですよ。そうとうたってる。素通りできるわけがない。先週のはじめ朝に、春日駅から地上に出ると、そのまんだちさんが立っていた。まんだちさんは文京区議会議員選挙に立候補している。街頭演説だろうが、まだ7時過ぎという時間のせいか演説自体ははじめておらず、道行く人々に挨拶をくりかえしていた。私も「朝早くからご苦労様です」と声をかけられた。真面目で穏やかな人物、という印象をもった。選挙カーに漢字で苗字が書いてあるのを見て、やはり「まん」は「萬」なのだな、と確認しちょっと感動す。 これも先週の話だが、仕事中に同僚が「あれ、いいんすかね」と話しかけてきた。私の職場は1階にある。出入り口はガレージになっており、出たところは会社の駐車場になっている。同僚の指差す方向を見てみると、その駐車場にまんだちさんが立っていた。私の職場のまわりには小さな工場が密集している。選挙カーではなく、せまい路地を練り歩きながら投票を訴える候補者をほかにもよく見るが、まんだちさんは我々の会社の駐車場から演説をする気でいるらしい。しかし「ひとんちの駐車場」をかってに(?)使っているし「そこからまわりに」演説をするためまんだちさんをはじめ他のスタッフも皆こちらに背をむけケツをむけているので、なんだか失礼だな、と思ったりしたが、ステージを裏から見ているみたいでなんだかおもしろくなってきた。結局仕事が忙しくて演説はあまり聞けず、いいチャンスだからお話したり握手とかしてもらおうと思ったが叶わなかった。やっと隙ができて駐車場にでてみると、もうまんだちさんは立っていなかったのだ。今日は統一地方選挙の投票日である。まんだちさんは当選するだろうか。

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それは「なしなし」だろう

 そもそも「あるある大辞典Ⅱ」のような機能性番組が好きではなかった。

 人が今食しているものは何百年、何千年と前から人が選び取って食べ続けてきたものばかりである。

 野菜であれ魚であれ食べられるものは皆「体に良い」はずなのだ。

 だから1つの食品をスーパースターのようにまつりたてる番組構成に、おおいに疑問があった。

 食は「バランス」であろう。子供の頃お母さんに、好き嫌いなく何でも食べなさいって何度も言われたじゃないか

 か。

 たとえばリンゴは間違いなく体に良いと思うが、リンゴばかりを食べ続けている生活はひどく体に悪い気がする

 のだ。

 さて、件の納豆騒動であるが、「食べるとやせる」なんて口上にまず胡散臭さを感じるべき。納豆がやせるなら

 関東より関西の人の方がきもち太っているはずだろうと冷やかしたくなるが、番組放送直後のスーパーでは納

 豆が飛ぶように売れたというのだから驚く。世間て簡単だな。

 「あるある大辞典Ⅱ」の打ち切りは当然でなんの感銘もないが、「レギュラー」の「あるある探検隊」への影響は

 どうなのかしら。ちょっと気になった。


 

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金はなくとも金町で

 出不精でめんどくさがりの私にしてはこの休みの二日間、そとに出ていた。

 昨日は新百合ヶ丘に行った。甥っ子の保育園が運動会だというのだ。このまえ入ったばかりだというのに一体なにをするのだ?ともかく母親とともにすっ飛んでいった。はやくもビデオカメラの出番である。
 途中で妹たちと合流して麻生スポーツセンターというところに行く。いわゆる公共の体育館であるが、なれない「空間」に甥っ子は緊張した面持ちだ。逆に興奮しまくって走り回っている子供がたくさんいたが、甥っ子はそういうタイプではないらしい。私はすこしでもその固さをとってやろうと、甥っ子をつれて館内を歩き回った。私が走る振りをして距離をあけると、ちょちょちょちょっという感じで追いついてくる。そうだ。そういうふうに走ればいいのだよ。
 運動会が始まっても甥っ子の様子は変わらない。開会式も次のお遊戯もずっと妹にしがみついたまま離れない。「君らは一体何をしているのか。俺はぜったいそんなことはしない」そんな感じだ。
 「玉入れ」あたりからようやく笑顔がみえてきた。カラフルなボールを箱に入れる行為が単純に面白いのだろう。ビデオにもいい表情が録れていた。
 終わる頃には甥っ子も楽しんでいたのではないだろうか。思えば生まれてはじめて団体行動に身を投じたのだ。そこからすでに競技であり挑戦であったに違いない。最後にお菓子とボールと素敵な(ほんとに素敵な!)メダルを首にかけてもらってご満悦の様子だった。解るかい、おまえが一所懸命がんばったからもらえたんだぞ。
 体育館には幸福が飽和していた。子供に託す若い夫婦の夢と希望が溢れていた。普段はおとなしそうな奥さんが、会社ではバリバリ仕事をしてそうなお父さんが、アホみたいな面をかぶって子供と走るのである。なんだか泣けてきた。私はゴツゴツした心の持ち主であるが、すこし丸くなって帰ってきた。

 今日は友人が一人暮らしを始めるので、引越しの手伝いに行った。とは言っても、行った頃にはほとんど終わっており、何をしたというわけではない。大量にトイレットペーパーとティッシュを買っていき、新しい彼の部屋で菓子を食いながら談笑しただけである。
 金町駅から徒歩5分くらいのところにあるそのマンションは思いのほか素敵だった。最上階の部屋は日当たりもよく、なにしろベランダが広い!爽快な気分でパンツとか干せそうだ。駅から近いし、辺りも静かだというのに家賃は50000を切っているというから驚きだ。「♪金はなくとも金町で~」と歌った藤圭子は大正解である(古!)。
 ドタバタと進んだ話だったので心配だったが、始めてしまったのだからやるしかない。自転車を漕ぐように、最初に踏み出すペダルは重いだろうけど、いったん加速がつけばラクチンポン!ですよ。

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ビデオカメラ

 甥っ子が保育園に入るというので先週ビデオカメラを買った。
 私は甥っ子がかわいくてしかたがない。今までもたくさん写真は撮ったけれども、運動会やお遊戯会などがあればやはり動く様を残しておきたい。テレビのCMなどは痛いくらいそこらへんをついているが大正解だ。ジジやババつまり私の両親も喜ぶだろうし、伯父さんは思いきったよ。

 コジマ電気梶ヶ谷店につくと私はまっすぐビデオカメラのコーナーへ向かった。事前に下調べをしてキャノン製のDC40というやつに決めていた。理由は2つ。1つは直接8㌢DVDに録画する方式であること。ハードディスクのタイプは容量やディスクの交換がないのが利点だと思うが、やはりパソコンをとおしてDVDに焼くという作業は私には私には面倒に思える。「機械は簡単なほうが素晴らしい」というのが私の信念である。もう1つは静止画がきれいなこと。今のビデオカメラは当然のごとく「デジカメ」にもなる。なんらかのイベントに多用するビデオよりもデジカメとして使う頻度の方が高いかもしれない。ならば「写真がきれいに撮れる」機種の方がいいに決まっているのだ。その点でDC40静止画は400万画素もあって最高のレベル。ここらへんがもともとカメラを作っていたメーカーの強みではないだろうか。
 ともかく、優柔不断で気が弱く、くわえて機械オンチの私はこんなふうに「絶対これを買う!」と決めていかないと巧みな店員さんのセールストークに惑わされ、いらんものを掴まされてしまう気がする。思えばテレビやパソコンやミュージックプレーヤーを買ったときも、店に入る前から私は「それ」に決めていた。
 ビデオカメラコーナーは家族連れが多く見られ、品定めをするお父さんにキラキラした瞳でこどもたちがまとわりついていた。担当の女店員に「キャノンのがみたい」と私は言う。私はいろいろと質問をし、女店員もいろんなことを言うが、あくまでも確認であり、大抵は想定内のことであった。
 驚いたのは値段である。じつはジャパネットタカダがテレビで同じ商品を扱っていた。三脚とバッグがついて89000円だった。やはり三脚は欲しい。これはかなり安いと思い、電話してしまいそうになった。
 それをふまえて私は予算10万円で出陣したのだがコジマ電気は素晴らしかった。
 まずはじめから安いのに(値札はたしか86000円ほどだった)、決算なのでさらに10%引くという。女店員が電卓で計算すると7万ちょっとにしかならない。しかも7万円以上のビデオカメラを買うともれなく「三脚とバッグをおつけします」というではないか。ブラボー!
 結局、保険やSDカードをつけても8万円をきっていた。大丈夫なのかコジマ電気は。私はかなり得した気分で家に帰ってきた。

 何日か説明書と格闘する。携帯電話ほど多機能でないためか、意外に薄くて読みやすいのだが、それでもかなりイライラした。「AをBするとCになります」と書いてあるのに、ちっともCにならない。っていうか「D」になちゃったんですけど!(怒)。「うそつき!」と何度もカメラをぶん投げそうになったが、その度に甥っ子の顔を脳裏にうかべつつ「私が馬鹿でした、私が馬鹿なのです」などとぶつぶつ言いながら最初からやり直す。それをくりかえした。

 昨日、甥っ子が遊びに来た。さっそく撮ってみる。2歳半の子供でも何か感づくのか、照れるのか、いつものように振舞わない。それでもあとあとテレビにつなげて再生してみると、びっくりするくらいきれいに良い絵が録れていた。我々家族はそれを見ながら小1時間おおいに盛り上がった。感動であり幸福である。

 どうしようもないほど機械が苦手だが、もうちっと精進してうまく使いこなせるようにがんばりたい。

 
 
 

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「飲酒運転」について

 ニュースにもはやりがある。ひとつ世間の注目を集めるような大きな事件や事故が起きると、テレビなどではいくつも同じようなニュースがピックアップされる。たとえば少年による親殺しがまるで日本中で「流行」しているみたいに。でも殺人事件なんて毎日どこかで起きている。何をどれだけ「拾い上げるか」なんて誰かの「操作」しだいじゃないか。私はそんな報道の常識をあまりいい気持ちで受け止めてはいなかったけれども、最近の飲酒運転による事故の報道に対してはちがう。もっと報道という名のキャンペーンを続けて欲しい。「呑んだら乗るな!!」

 福岡で三人の幼い命が奪われたあの「事件」を、運転免許を持っている全ての人間は「自分の身にも起こりうること」として受け止めなければならないはずである。世の中が怒り、警察も取締りを強化している。酒がはいっていなくとも背筋をピンと伸ばし、以前にもまして慎重にハンドルを握ろうと思うのがまっとうな人間の回路だろう。
 それでも飲酒運転をするアホがいる。「酒を呑んだら運転してはいけないという判断さえつかなくなるのが酒」という笑えないスパイラルにおちいっているのか。私は愕然とする。

 半蔵門線には女性専用車両がある。始発から9:30までの時間限定で、その車両には女性しか乗れないのだ(こども、お年寄り、身体の不自由な人はOK)。無論、痴漢対策であるが、これって男性にとってはそうとう恥ずかしい処置ではないだろうか。あたりまえだが痴漢行為は犯罪で社会的地位や信用をいっぺんに失う(例:うえくさ君)。駅のところどころにそれを訴えるポスターも貼られているが、それでもそういう行為に及ぶ輩があとを絶たない。メトロは「人の倫理観にたよらない」作戦に出た。女性を男性から隔離してしまおうというのである。つまり男性はみな「痴漢予備軍」と見做されてしまったのだ。けっこうひどい話だと思うけれども、欲望を抑えきれない「言ってもわからない」アホがすこしでもいるかぎりいたしかたない。

 飲酒運転にもソフトよりもハードに対策を施す流れが出てくるだろう。ドライバーのアルコール摂取量を判定し、基準以上に達したときはエンジンのキーがかからない自動車が発明されアメリカではもう走っている。コストがどうのこうのという問題は出てくるだろうが日本のテクノロジーなら物自体は簡単に作れるだろう。是非採用して欲しい。酔っ払いを車から隔離するのだ!!

 パッケージにデカデカと「あなたの健康を~どうたらこうたら」と注意書きを1/3ぐらいの面積を使って書いてしまったがために、マルボロやラッキーストライクのタバコのデザインは台無しだ。いくらなんでもやり過ぎだろうとはらが立った。

 日本酒や焼酎ラベルには素敵なデザインのものが多い。CDをジャケ買いするように、私は酒を「ラベル買い」したりする。飲酒運転が社会問題化するにつれ、酒のラベルにも無粋な感じで「呑みすぎに注意」だとか「呑んだら乗るな」とかあたりまえのことが刷り込まれやしないだろうか。それはそれで哀しい。

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つかのまの空

 中学生の頃の話である。
 ある日、真夜中に目がさめた私はなんだか辺りが明るいのに気づく。電灯は消えているが部屋の隅々まで青く照らされ、ものの輪郭がはっきりとわかるのだ。
 つけっぱなしのラジオからはエド山口の軽妙な喋りが聴こえてくる。まだ夜が明けようとしているわけではない。
 布団から起きて窓の外を見ると私は息をのんだ。強烈な光を放ちながら、あまりにも大きく完璧な満月が空に浮かんでいたのだ。
 当時、私はアパートの二階に住んでいた。窓からはよくあるような家並みと電柱と電線、そして遠くに団地が見えた。それらの上に輝くその満月はあきらかに「球」だとわかるほどの立体感があった。
 私は怖いくらいの美しさと、眩しさにしばらく呆然としてしまったのだった。
 それ以来私は「もう一度あのすばらしい夜空を見られないないだろうか」と思うようになった。深夜ラジオにはまりほとんど毎日夜更かしをしながら、私はあの満月を「待って」いたのだが、なかなか同じ状況にはならなかった。
 そうこうしているうちに(私にとっては)ショックな話をきく。隣の家が増築をして2階建てにするというのだ。どう考えても私の部屋の窓から見える風景をふさぐことになる。
 世界でたったひとり憂鬱になっている私をよそに、あっという間に工事は進み、窓の外はたんなるコーヒー色の壁になった。
 もう二度と「あの夜空」を見ることはできない。あとあと幾度となく絵を描いて、再現したみたが所詮は絵である。
 私の記憶の中にだけ、今も確かにあの満月は輝いている。

 七年ほど前、溝口で一人暮らしをしていた。駅から近いこと、フローリングではなく畳であるというだけで決めたアパートであったが、かなり気に入っていた。再開発で駅前にはすでに立派なロータリーとマルイができていたが、まだまだ家賃も安かった。
 入居して初めての夏、思いもしなかったことに遭遇し、嬉しくなった。
 毎年八月に多摩川の花火大会が行われるのだが、私の部屋の玄関からものすごい至近距離で花火を見ることができたのだ。打ち上げているのが二子多摩川と二子新地の河川敷だから「近い」のはわかっていた。頭ではわかっていたが、こんなにも近いとは思わなかった。かなり大きく花火が咲いて、そのたびにドーン!だのパーン!
だのと凄まじい音がドラムの「バスドラ」のように腹に響いてくる。火薬の匂いまでした。
 私は野良猫どもと酒を呑み、幸せな気分になった。これは儲けもんだ。来年は友だちを連れてこよう、そう思った。
 ところが、私はまた私の気に入った空を奪われてしまうのである。マンションが建ってしまったのだ。発展著しい
溝口とはいえ哀しくなった。すこし歩けば国道246号線があり、そこにまたがる歩道橋の上ですばらしい花火が見られるのだが、やはり私は「家から0分の花火」がたまらなく恋しかった。

 景気がどうだとか「地価」どうだとか、そういうことはよくわからない。あくまで私の体感だが、東京は今建築ラッシュではなかろうか。いたるところで工事をしている印象がある。
 渋谷の東急会館あと地のようにポッカリと空が広くなっている場所をいくつも見た。
 私は思う。
 人は生活の陣地を拡げるために海を埋め立てていった。それでも土地が無くなるとドカスカと高い建物を建て、空まで埋め立てていたのではないだろうか。
 工事現場に突如現れた青空や星空は、悲しいくらい美しく見える。それはやがてそれらの前に何かしらの「壁」
が立ちふさがり、埋め立てられてしまう「つかのまの空」だということを私が知っているからである。
  

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敬老スリーウェイ

 渋谷地下街、いわゆる「しぶちか」は、どこか侘しい。最近はボーダフォンショップなどが入っていたりするが、地上のような喧騒や匂うような若さはそこにはない。多くのさびれた商店街がそうであるように、いまだに昭和の風情があって、時をうらがえしたかのようだ。

 何年か前に私はショルダーバックが欲しくて渋谷をさまよった。東急ハンズなどでは気に入ったものが見つからず、しぶちかに流れつくと一軒のお店が目にとまった。私にとってはいささか「おじさんぽい」品揃えに思えたが、意外にも値段も大きさもちょうどいいのがあってそれを買うことにした。

 「すいませーん」

 私が呼ぶと、つりさげられた膨大な量のカバンをかきわけるように、70歳くらいの老婆が現れた。

 「これください」と私が選んだ黒いショルダーバックを指差すと老婆はその説明を始めた。

 「これはねぇ、スリーウェイなんだよ、知ってるかい?スリーウェイってのはね・・・」

 「あぁ知ってる、知ってる」私はぞんざいにそれを断ち切って精算をうながした。さんざん歩き回って私は疲れていたのだ。

 「そうかい・・・」老婆は思いのほか残念そうに、ひどく小さな声で答えた。

 私は帰りの田園都市線にゆられながら後悔していた。意気消沈した老婆の姿が目に浮かんで消えなかった。

 あの老婆にとって「スリーウェイを説明する」ことは晴れの舞台だったのではないだろうか。「こんなおばぁちゃんでも知ってんだよ、スリーウェイ」と、胸をはって目の前の若者に喋りたかったのではないだろうか。

 私はそんなチャンスを乱暴につぶしてしまった気がしていた。どうして「リュックにも手さげにもなる」ことくらい聞いてあげられなかったのだろう。悶々とした気持ちをのせて電車は川を渡っていった。

 なにげにしぶちかはよくと通る。そのわりには姿を見ないので、あの老婆は「死んじゃったかも」と思っていた。そうでなくともあの店は大量のカバンのせいで「無人」にみえるのだが、このまえ久しぶりにあの老婆みかけて、なんだかほっとした。

 そしてひそかに思った。いつかまたあそこでショルダーバックを買うようなことがあったら、老婆の語るスリーウェイってものを喜んで聞いてあげよう。「ええ!リュックにもなんの!」と大げさに驚いてあげよう。

 それまで元気でね。おばぁちゃん。

         

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